紫雲山等覚院は「日蓮宗」のお寺です。
鎌倉時代に日蓮大聖人が開かれた日蓮宗は、身延山久遠寺(山梨県)を総本山とし、開宗以来約750年の伝統ある教団です。
お釈迦さまのお説きになった最高の経典である『妙法蓮華経(法華経)』を拠りどころとし、この『法華経』の魂を「南無妙法蓮華経」のお題目にこめられた日蓮大聖人の教えに導かれて私たちが信行に励み、この教えを弘めることによってやがて世界の平和と人類の幸福ひいては個人のしあわせにつながる事を願っています。
日蓮大聖人は鎌倉時代、貞応元(1222)年に現在の千葉県にお生まれになりました。清澄寺で出家得度の後、比叡山や高野山、南都などへのご遊学を経て「法華経」こそが釈尊ご出世の本懐のみ教えであると確信され、建長5年(1253)年4月28日、清澄山の旭が森で太平洋から登る朝日に向かってお題目をお唱えになり、立教開宗を宣言されました。
その後数々のご法難を受けながらも人々の安寧を願い、鎌倉幕府に『立正安国論』を提出して正しい教えである『法華経』に帰依するように求めましたが受け入れられず、かえってさらなる迫害を受けることとなり、竜口にて死罪になるところを許され、佐渡への流罪となりました。
佐渡での日蓮大聖人は、相次ぐ法難、迫害の連続であったこれまでの人生を、「法華経」の持経者は多くの災難に見舞われるという、お釈迦さまが「法華経」のなかでされた予言を実証するのであると確信されました。すなわち、大聖人自らこそお釈迦さまより「法華経」の弘通を直接委ねられた本化上行菩薩であるという自覚を強め、「開目抄」の中で『我れ日本の柱とならむ。我れ日本の眼目とならむ。我れ日本の大船とならむ。』という「三大誓願」を記され、「詮ずるところは天も捨てたまえ、諸難にも遭え、身命を期せん」と、たとえ諸天のご加護がなくとも末法の日本を救うため「法華経」の弘通に一命をささげる決意をされています。
その後赦されて鎌倉に戻られますが、甲斐国の地頭波木井実長の招きを受け身延山へ入り、足かけ九年そこで過ごされました。弘安5(1282)年9月8日、日蓮大聖人は病身を養うためと、両親の墓参のため身延山を下り、常陸の国に向かいましたが、同年10月13日、途上の武蔵の国池上(現在の東京都大田区)にてその波瀾に満ちた61年の生涯を閉じられました。このとき地震が起こり、季節はずれの桜が咲いたといいます
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